Clásicos japoneses con furigana
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そうせきの「こうじん」について
漱石の「行人」について
宮本 百合子
Lee 漱石の「行人」について (そうせきの「こうじん」について) de 宮本 百合子 (みやもとゆりこ) en japonés con furigana. JLPT N2. Toca una palabra para ver el significado.
N2 · avanzado · kanji y kana modernos · 3549 caracteres · 7 pantallas
兄の妻とならなかった頃からの直を二郎が知っているという偶然が、一郎の苦悶を一層色どって、「二郎、何故肝心な夫の名を世間が忘れてパオロとフランチェスカだけ覚えているのか。その訳を知ってるか」とも口走らせる。
二郎がその問いを不快に感じる心、あなたが善良な夫になれば、嫂さんだって善良な妻ですよ、という態度にも一郎は弟のその常識性の故に激しく反撥する。直という女は、何処からどう押しても押しようのない女、丸で暖簾のように抵抗ないかと思うと、突然変なところへ強い力を見せる性格として描かれている。おとなしいともうけとれるし、冷淡ともうけとれる。そういう日常の姿態の女として描かれている。妻とのせっぱつまった苦しい感情、父、弟からの人間として遠い感情、この一郎の暗澹とした前途をHさんは「一撃に所知を亡う」香厳の精神転換、或は脱皮をうらやむ一郎の心理に一筋の光明を托して、一篇の終りとしているのである。
漱石の女性観は、いわば「吾輩は猫である」の中にはっきり方向を示していると思う。オタンチン・パレオロガスというユーモラスな表現が女の知性の暗さに与えられているばかりか、ミュッセの詩の引用にしろ、タマス・ナッシの論文朗読の場面にしろ、女は厄介なもの、度しがたきものと観る漱石の心持は、まざまざと反映している。