Clásicos japoneses con furigana
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おきつやごえもんのいしょ
興津弥五右衛門の遺書
Lee 興津弥五右衛門の遺書 (おきつやごえもんのいしょ) de Mori Ōgai (森 鴎外) en japonés con furigana. JLPT N2. Toca una palabra para ver el significado.
N2 · avanzado · kanji y kana modernos · 7046 caracteres · 14 pantallas
弥五右衛門は「喉笛を刺されい」と云った。しかし乃美が再び手を下さぬ間に、弥五右衛門は絶息した。
仮屋の周囲には京都の老若男女が堵の如くに集って見物した。落首の中に「比類なき名をば雲井に揚げおきつやごゑを掛けて追腹を切る」と云うのがあった。
興津家の系図は大略左の通りである。
興津家の系図
弥五右衛門景吉の嫡子才右衛門一貞は知行二百石を給わって、鉄砲三十挺頭まで勤めたが、宝永元年に病死した。右兵衛景通から四代目である。五世弥五右衛門は鉄砲十挺頭まで勤めて、元文四年に病死した。六世弥忠太は番方を勤め、宝暦六年に致仕した。七世九郎次は番方を勤め、安永五年に致仕した。八世九郎兵衛は養子で、番方を勤め、文化元年に病死した。九世栄喜は養子で、番方を勤め、文政九年に病死した。十世弥忠太は栄喜の嫡子で、後才右衛門と改名し、番方を勤め、万延元年に病死した。十一世弥五右衛門は才右衛門の二男で、後宗也と改名し、犬追物が上手であった。明治三年に番士にせられていた。
弥五右衛門景吉の父景一には男子が六人あって、長男が九郎兵衛一友で、二男が景吉であった。三男半三郎は後作太夫景行と名告っていたが、慶安五年に病死した。