Clásicos japoneses con furigana
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かんしょうりょくなくしてしゅうじするなかれ
魯山人書論
北大路 魯山人
Lee 魯山人書論 (かんしょうりょくなくしてしゅうじするなかれ) de 北大路 魯山人 (きたおおじろさんじん) en japonés con furigana. JLPT N2. Toca una palabra para ver el significado.
N2 · avanzado · kanji y kana modernos · 84.639 caracteres · 175 pantallas
そう思ってみれば徳川公の書は、世俗から認められるには、余りに調子と風情が超凡すぎるのだ。世俗一般から能書と認められるには、いわゆる書家風の技が足りない、それは公の無器用と無才が技巧を無視しているからだ。ともかく、そういうところがある。
そこへ行くと、例えば、犬養さんなどの書は誰でもうまいと思うようだ。すなわち、誰にでも分る程度にうまいので、誰でもが容易に納得するのである。ところが徳川公の書になると、誰にでも解るというわけには行かない。従ってわからないものには、むしろ反対にまずいと見えるのである。
この関係はちょうど眼のないものが骨董を見ると、ただ薄汚いとか、剥げチョロけていて、ムサクルシイとかいう風にのみ見えて、どうしても、なるほど美しいものであるとは肯けないのと軌を一にする。
しかるに、次第に眼が肥えて来ると、いわゆる汚らしいものの中の美がわかるようになり、今時のいわゆる綺麗なるものの中に汚いものが見えて、絵なら絵の本当の価値がわかってくるが、誰しも最初は古書画とか、奈良時代の仏教美術とかいうものになると、十中八九までは誰にも分らない。
ちょうどそんな意味で、徳川公の書は、ちょっとそのよさが外部的に分らない能書の一つである。