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Classiques japonais avec furigana

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デカルトてつがくについて

デカルト哲学について

西田 幾多郎

Lisez デカルト哲学について (デカルトてつがくについて) de 西田 幾多郎 (にしだきたろう) en japonais avec furigana. JLPT N2. Touchez un mot pour le sens.

N2 · avancé · kanji et kana modernes · 19 032 caractères · 38 écrans

Aozora Bunko

かかる自己に執着するのが迷である。絶対否定即肯定ということは、判断的自己の立場からいい得ることではない。それは作り作られる歴史的自己の立場、生死的自己の立場においてでなければならない。道元は自己をならうことは自己をわするるなり、自己をわするるというは、万法に証せらるるなりという。我々は抽象的意識的自己を否定した所、身心一如なる所に、真の自己を把握するのである。今や我々はかかる真の実践的自己、身心一如的自己の自覚の立場から、従来の哲学を考え直して見なければならない。私が再びデカルトの立場へと主張する所以である。しかしかかる立場においての論理は、デカルトの主語的論理でないことはいうまでもなく、ヘーゲルの弁証法とも異なったものでなければならない。ヘーゲルの論理は弁証法といえども、なおアリストテレス的主語的たるを免れない。客観的精神の論理であって、歴史的実践の世界の、歴史的形成力の論理ではない。我々は歴史的実践の世界においての論理的意識発生の根源に返って、歴史的実践の世界の自己形成の論理を把握せなければならない。それはヘーゲルの理念的弁証法と逆の立場に立つものであろう。