Classiques japonais avec furigana
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デカルトてつがくについて
デカルト哲学について
西田 幾多郎
Lisez デカルト哲学について (デカルトてつがくについて) de 西田 幾多郎 (にしだきたろう) en japonais avec furigana. JLPT N2. Touchez un mot pour le sens.
N2 · avancé · kanji et kana modernes · 19 032 caractères · 38 écrans
歴史的世界の自己形成においては、形相と質料とが何処までも相反するとともに、矛盾的自己同一として、形相から質料へ、質料から形相へ、形が形自身を限定するのである。そこに真に実在即当為、当為即実在である、内外一如的であるのである。
デカルトが神の存在証明について、「第三省察」においていった如き神と自己との関係は、個が全を表現することが全の自己表現となることであり、全一と個多との矛盾的自己同一的に事が事自身を限定することから世界が成立する、自己の始が世界の始であり、世界の始が自己の始であるという矛盾的自己同一の論理から、直に理解せられるであろう。両者の対立、相互関係は、自己自身を形成する歴史的世界の両契機として考えられねばならない。有限と無限と矛盾的自己同一の両端として、自己と神とがあるのである。而して絶対現在の瞬間的自己限定として、我々の自己は、神によって次の瞬間に存在するのである。私の絶対現在とは、多と一との絶対矛盾的自己同一的形式にほかならない。更に「第五省察」において、神の概念が自己存在を含むとなし、神は欺かないということから、逆に我々の知識の客観性を基礎附けているが、我々に明晰判明なる直観的知識というのは、我々の自己が自己否定において物に証せられる知識であるのである。