Classiques japonais avec furigana
ja-reading.com
Lisez des classiques japonais en ligne avec furigana. Filtrez par niveau JLPT, touchez un mot pour le sens et traduisez une phrase.
デカルトてつがくについて
デカルト哲学について
西田 幾多郎
Lisez デカルト哲学について (デカルトてつがくについて) de 西田 幾多郎 (にしだきたろう) en japonais avec furigana. JLPT N2. Touchez un mot pour le sens.
N2 · avancé · kanji et kana modernes · 19 032 caractères · 38 écrans
真にそれ自身によってあり、それ自身によって理解するものは、事が事自身を限定する、純粋事実というものでなければならない。純粋行為というも、既に二次的である。かかる実在が明にせられるには、否、かかる実在が自己自身を明にするのは、絶対否定的自覚によるのほかはない。そこに哲学は宗教に通ずるものがあるのである。大疑の下に大悟ありという。哲学はかかる立場において、知識の根本原理を把握するのである。故に哲学の最高原理は、矛盾的自己同一的たらざるを得ない。
知識は単に形式論理の立場から成立するのではない。知識は何らかの意味においての直観を含んでいなければならない。然らざれば、客観的知識ではない。私の直観というのは、終が始に含まれている過程である。故に一々の過程が始と終とを含んでいる。目的的作用というものにおいても、あるいは斯くいい得るであろう。しかし直観においては、一々の点が始であり終であるのである。それは創造的過程であるのである、故に自覚的であるのである。時を媒介とするのではない、時の過程はそこからであるのである。故に直観は無限の過程である。私はこれを、自己自身によってある実在が、自己の中に自己を映す無限の過程という。