Classiques japonais avec furigana
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こくをみる
古句を観る
柴田 宵曲
Lisez 古句を観る (こくをみる) de 柴田 宵曲 (しばたしょうきょく) en japonais avec furigana. JLPT N2. Touchez un mot pour le sens.
N2 · avancé · kanji et kana modernes · 166 028 caractères · 333 écrans
オバタと発音するために、俣を幡に誤ったものと見れば、地理上の面倒はなさそうである。
今日のように夜東京を発して、翌朝神路山を拝し得る便利な時世ではない。幾日幾夜の旅を続けて小俣まで辿り著いたら、その年は暮れてしまった。眼が覚めて見れば元日である。身も心もすがすがしくなって、今日は内宮外宮を拝そうという。小俣に泊って新年を迎えたところがこの句の眼目である。あるいはかねて元日に両宮を拝むつもりで、大晦日に小俣に著くように計画したのかも知れない。元日参宮ということについては、今と昔でいろいろ事情の異るものもあろうが、めでたく畏き年の初である点は同じであろう。
但以上は小幡を小俣として解したのである。小幡が他の土地であるとすれば、右の解釈は抛棄しなければならぬ。「小幡どまり」ということが、めでたい参宮の春の感じを損わぬ限り、必ずしも小俣を固執するわけではない。
七種や八百屋が帳のつけはじめ ※(「さんずい+(吝-口)」、第3水準1-86-53)村
新年も松の内位までは、めでたく平穏な日が続く上に、いろいろ暮にととのえた物があって、庖厨に事を欠かぬ。七日に至ってはじめて八百屋に用が出来るのは、七種粥の関係もあるが、この日あたりを境界として、漸く平生の生活に還ろうとするためであろう。