Lecture japonaise

Classiques japonais avec furigana

ja-reading.com

Lisez des classiques japonais en ligne avec furigana. Filtrez par niveau JLPT, touchez un mot pour le sens et traduisez une phrase.

やまごしのあみだぞうのがいん

山越しの阿弥陀像の画因

折口 信夫

Lisez 山越しの阿弥陀像の画因 (やまごしのあみだぞうのがいん) de 折口 信夫 (おりくちしのぶ) en japonais avec furigana. JLPT N2. Touchez un mot pour le sens.

N2 · avancé · kanji et kana modernes · 15 125 caractères · 30 écrans

Aozora Bunko

其に山の姿もよい。若し脇士を仮りに消して想像すれば、更に美しい山容である。此山、此山肌の感触はどうも、写実精神の出た山である。

これで見ると、山の端に伸しあがった日輪の思われる阿弥陀の姿である。古語で雲居というのは、地平線水平線のことだが、山の端などでも、夕日の沈む時、必見ることである。一度落ちかけた日が、ぬっと伸しあがって来る感じのするものだが――、この絵の阿弥陀仏には、実によく、其気味あいが出ている。容貌の点から言うと、金戒光明寺の方が遥かに美男らしいが、直線感の多い描線に囲まれただけに、ほんとうのふくらみが感じられぬ。こちらは、阿弥陀というよりは、地蔵菩薩と謂えば、その美しさは認められるだろう。腹のあたりまでしか出ていぬが、すっくと立った全身の、想見出来るような姿である。ところが其優れた山の描写が亦、最異色に富んで居る。峰の二上山形に岐れている事も、此図に一等著しい。金戒光明寺の来迎図は、唯の山の端を描いたばかりだし、其から後のものは、峰の分れて見えるのは、凡そこから道が通じて、聖衆が降って来るように描かれている。雲に乗って居ながら、何も谷間の様な処を通って来るにも及ばぬ訣である。