Lecture japonaise

Classiques japonais avec furigana

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Lisez des classiques japonais en ligne avec furigana. Filtrez par niveau JLPT, touchez un mot pour le sens et traduisez une phrase.

わたしはかいぎはだ

平凡・私は懐疑派だ

二葉亭 四迷

Lisez 平凡・私は懐疑派だ (わたしはかいぎはだ) de 二葉亭 四迷 (ふたばていしめい) en japonais avec furigana. JLPT N2. Touchez un mot pour le sens.

N2 · avancé · kanji et kana modernes · 19 626 caractères · 41 écrans

Aozora Bunko

要するに人間生きてる以上は思想を使うけれども、それは便宜の為に使うばかり。と云う考えだから、私の主義は思想の為の思想でもなけりゃ芸術の為の芸術でもなく、また科学の為の科学でもない。人生の為の思想、人生の為の芸術、将た人生の為の科学なのだ。

人生、々々というが、人生た一体何だ。一個の想念じゃないか。今の文学者連中に聞き度いのは、よく人生に触れなきゃ不可と云う、其人生だ。作物を読んで、こりゃ何となく身に浸みるとか、こりゃ何となく急所に当らぬとかの区別はある。併しそれが直ちに人生に触れる触れぬの標準となるんなら、大変軽卒のわけじゃないか。引緊った感を起させる、起させぬの別と、人生に触れる、触れぬとの間にゃ大なるギャップが有りゃせんか。私はどうも那様気がするね。触れる云々は形容詞に過ぎんように思う。哲学上の見解から小説と人生との接触を見たんではないらしい。にも係らず其無意味のことに意味をつけて、やれ触れたの、やれ人生の真髄は斯うだのと云う。一片の形容詞が何時の間にか人生観と早変りをするのは、これ何とも以て不思議の至りさ。

いや、何時のまにか私も大気焔を吐いて了って。