Lecture japonaise

Classiques japonais avec furigana

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ちょうへんしょうせつしけん

長篇小説私見

豊島 与志雄

Lisez 長篇小説私見 (ちょうへんしょうせつしけん) de 豊島 与志雄 (とよしまよしお) en japonais avec furigana. JLPT N2. Touchez un mot pour le sens.

N2 · avancé · kanji et kana modernes · 4 065 caractères · 8 écrans

Aozora Bunko

現代日本の純文学の中に、そういう例がないということは、作家たちがみな凡庸な故であろうか、或は社会の文学的教養なり関心なりが余りに低い故で、あろうか。

そういうことも一応は考えられるとして、さてその次に、作品中の人物に対する直接的批評が、文芸批評家の中にも一向見出されず、文芸批評と云えば、作者の態度や心境と表現技法とに限られてるということは、何故であろう。稀になさるる人物批評に対して、「或る人物の或る場合」という遁げ道が作者に許されてるのは、何故であろう。茲に、短篇文学の弊が、余りに短篇のみの文学の弊が、あるのではないだろうか。

作品が益々作者に従属してゆく傾向にあり、随って、作品中の人物の名前などは単なる符牒にすぎず、全作品に作者の名前が冠さるるだけで十分である、ということは現代文学の一特質である。然しながら、それは作品と作者との関係に於いて、云いかえれば作者の創作活動の積極面について、是認されることであって、文学者の偸安と責任逃避との口実に使用さるべきものではない。作者は作中人物について、一の批判とその批判から来る責任とを持つべきである。その批判と責任とは、生活のために鞭打たれつつ生みだす短篇の凡てについて持ち得ないとしても、長篇については持ち得らるるだろう。