Classiques japonais avec furigana
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Lisez des classiques japonais en ligne avec furigana. Filtrez par niveau JLPT, touchez un mot pour le sens et traduisez une phrase.
にょぜがもん
如是我聞
Lisez 如是我聞 (にょぜがもん) de Dazai Osamu (太宰 治) en japonais avec furigana. JLPT N2. Touchez un mot pour le sens.
N2 · avancé · kanji et kana modernes · 22 895 caractères · 45 écrans
物語りさいちゅうの作者も、また読者も、実にとまどい困惑するばかりである。
こんなことまでは、さすがに私も言いたくないが、私は作品を書きながら、死ぬる思いの苦しき努力の覚えはあっても、イヒヒヒヒの記憶だけは、いまだ一度も無い、いや、それは当然すぎるほど当然のことではないか。こう書きながらも、つくづくおまえの馬鹿さが嫌になり、ペンが重く顔がしかめ面になってくる。
最初に掲げた聖書の言葉にもあったとおり、禍害なるかな、偽善なる学者、汝らは預言者の墓をたて、義人の碑を飾りて言う、「我らもし先祖の時にありしならば、預言者の血を流すことに与せざりしものを」と。
百年二百年或いは三百年前の、謂わばレッテルつきの文豪の仕事ならば、文句もなく三拝九拝し、大いに宣伝これ努めていても、君のすぐ隣にいる作家の作品を、イヒヒヒヒとしか解することが出来ないとは、折角の君の文学の勉強も、疑わしいと言うより他はない。イエスもあきれたってネ。
もう一人の外国文学者が、私の「父」という短篇を評して、(まことに面白く読めたが、翌る朝になったら何も残らぬ)と言ったという。このひとの求めているものは、宿酔である。