Lecture japonaise

Classiques japonais avec furigana

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Lisez des classiques japonais en ligne avec furigana. Filtrez par niveau JLPT, touchez un mot pour le sens et traduisez une phrase.

ぶんしとしてのちょうみんせんせい

文士としての兆民先生

幸徳 秋水

Lisez 文士としての兆民先生 (ぶんしとしてのちょうみんせんせい) de 幸徳 秋水 (こうとくしゅうすい) en japonais avec furigana. JLPT N2. Touchez un mot pour le sens.

N2 · avancé · kanji et kana modernes · 3 042 caractères · 7 écrans

Aozora Bunko

自分が作る所の日々の新聞論説は単に漫言放言であって決して、文章というべき者ではないと言い、予が「三酔人」の文字を歎美するに対しては、彼の書は一時の遊戯文字で甚だ稚気がある。詰らぬ物だ。と謙遜して居た。然り、先生は其気、其才、彼が如きに拘らず、文章に対しては寧ろ頗る忠実謹厳の人であった。

先生は常に曰った。日本の文字は漢字である。日本の文章は漢文崩しである。漢字の用法を知らないで文字の書ける筈はない。飜訳などをするものが、勝手に粗末な熟語を拵えるのは読むに堪えぬ。是等は実に適当な訳語が無いではない。漢文の素養がないので知らないのだ云々。先生は実に仏蘭西学の大家たるのみでなく、亦漢学の大家として諸子百家窺わざるはなかった。西洋から帰って仏学塾を開き子弟を教授して居た後までも、更に松岡甕谷先生の門に入って漢文を作ることを学んで怠らなかったのである。

故に其飜訳でも著作でも、一字一語皆出処があって、決して杜撰なものでは無かった。彼の「維氏美学」の如き、「理学沿革史」の如き飜訳でも、少しも直訳の臭味と硬澁の処とを存しない。文章流暢、意義明瞭で殆ど唐宋の古文を読むが如き思いがある。