Lecture japonaise

Classiques japonais avec furigana

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しごとしてのにほんご

詩語としての日本語

折口 信夫

Lisez 詩語としての日本語 (しごとしてのにほんご) de 折口 信夫 (おりくちしのぶ) en japonais avec furigana. JLPT N2. Touchez un mot pour le sens.

N2 · avancé · kanji et kana modernes · 13 401 caractères · 27 écrans

Aozora Bunko

そういう古語が、平俗な口語文体の中にちらばらとはめ込まれているところから、一遍に凡庸な国語と感ぜられ、古語の持っているえきぞちっくな味すら受け容れられない場合のあるのが、最非難されるのである。

現在の詩壇の有様を見ると、ある部分まで、作家たちの詩は、日本語を忌避している様に見える。考えのある人は、自分の用いる言葉が、日本語的な印象を与え過ぎる事を嫌っている様にも見える。日本語が平俗だと考えている以上に、外国語の持っている様な陰翳を自在に浮べる事の出来ないのを悪んでいるのであろう。だから何のための詩語か。結局凡庸な表現力しか持たない日本語ではないか。而も現在と関係のない、どう祷っても転生する望みのない山の石の様な詩語に過ぎないのだ。――こう言う風に、特に詩語として用いられた古語を見くびろうとする。だが明治以後どの詩派が、最古語を用いたか。それを考えると、我々の予期する所とは反対になっている。有明・泣菫以下の象徴詩勃興時代の詩人たちを見ると、皆驚くばかり古語を使っている。あの古語なんかに何の関係も持たない様に見える泡鳴すら、盛にこれを利用している。蒲原氏にも同様の傾向はあったが、――古語を活し、古語と近代語・現代語との調和の上に生命ある律的感覚の美しさを与えたのは、蒲原氏なのだが、――之を使った上から見れば、