Classiques japonais avec furigana
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ニイチェについてのざっかん
ニイチェに就いての雑感
萩原 朔太郎
Lisez ニイチェに就いての雑感 (ニイチェについてのざっかん) de 萩原 朔太郎 (はぎわらさくたろう) en japonais avec furigana. JLPT N2. Touchez un mot pour le sens.
N2 · avancé · kanji et kana modernes · 6 938 caractères · 14 écrans
即ち真の哲学者とは、所謂「哲学者」の謂でなくして「詩人」の謂である。詩人こそ真の哲学者であると。文学者がもし真の文学者であるならば、このベルグソン等の意味に於ける哲学者でなければならない。ところが日本の文壇には、その哲学者が甚だすくないのである。日本人は昔から「言あげせぬ国民」であり、思考したり哲学したりすることを好まない。日本の詩人は、芭蕉、西行等の古から、大正昭和の現代に至るまで、皆一つの極つた範疇を持つて居る。その範疇といふのは、単に感覚や気分だけで、自然人生を趣味的に観照するのである。日本の詩人等は、昔から全く哲学する精神を欠乏して居る。そして此処に詩人と言ふのは、小説家等の文学者一般をも包括して言ふのである。
ニイチェは詩人である。何よりも先づ詩人である。しかしながら彼のポエジイには、多くの深遠な思想や哲学が含まれて居る。その内容を理解し得ないでは、ニイチェの詩を感情し得ない。しかも彼の思想や哲学やは、学問する頭脳では理解し得ず、哲学する精神によつてのみ理解されるのである。その哲学する精神を欠いた日本の詩人や文学者にとつて、ニイチェが不可解なのは当然と言はねばならぬ。