Lecture japonaise

Classiques japonais avec furigana

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こくをみる

古句を観る

柴田 宵曲

Lisez 古句を観る (こくをみる) de 柴田 宵曲 (しばたしょうきょく) en japonais avec furigana. JLPT N2. Touchez un mot pour le sens.

N2 · avancé · kanji et kana modernes · 166 028 caractères · 333 écrans

Aozora Bunko

この句はそういう魚懸の魚をだんだん食べてしまって、頭だけが残っているというのである。春の用意に懸けた魚が、春雨頃に頭だけになるのは自然の数であろう。

魚懸は現在のわれわれには縁が遠い。われわれが台所にぶら下っていたのを知っているのは、塩引の鮭位のものである。「塩鮭の頭ばかりや……」といえば、今の人には通じいいかも知れない。だんだんに食べて頭ばかりになった魚と春雨との間には、趣としても相通うものがある。

雉子啼や蔵のあちらの蜜柑畑    桃先

田舎の屋敷内などであろう。母家を離れたところに土蔵があって、その向うはずっと蜜柑畑になっている。雉子はその辺まで来て啼くとも解せられるし、蔵の向うに蜜柑畑の見えるような場所で、けんけんと啼く雉子の声を聞いたということにしても構わない。

雉子の声の背景としては、これまでも随分いろいろな世界を挙げて来たが、「蔵のあちらの蜜柑畑」は正に一幅の画図である。ここに雉子の声を点じて、画以上にすべてを生動せしめた。雉子の啼く頃では、蜜柑は枝頭に朱い玉をとどめていないかも知れぬが、土蔵の先に一面の蜜柑畑が展開しさえすれば、果の有無の如きは深く問うに及ばぬであろう。