Classiques japonais avec furigana
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Lisez des classiques japonais en ligne avec furigana. Filtrez par niveau JLPT, touchez un mot pour le sens et traduisez une phrase.
『わがはいはねこである』じょうへん
吾輩は猫である
Lisez 吾輩は猫である (『わがはいはねこである』じょうへん) de Natsume Sōseki (夏目 漱石) en japonais avec furigana. JLPT N2. Touchez un mot pour le sens.
N2 · avancé · kanji et kana modernes · 322 123 caractères · 643 écrans
それがいやになるとご免を蒙って口の内へ頬張ってしまう。蝉によると口の内へ這入ってまで演芸をつづけているのがある。蝉取りの次にやる運動は松滑りである。これは長くかく必要もないから、ちょっと述べておく。松滑りと云うと松を滑るように思うかも知れんが、そうではないやはり木登りの一種である。ただ蝉取りは蝉を取るために登り、松滑りは、登る事を目的として登る。これが両者の差である。元来松は常磐にて最明寺の御馳走をしてから以来今日に至るまで、いやにごつごつしている。従って松の幹ほど滑らないものはない。手懸りのいいものはない。足懸りのいいものはない。――換言すれば爪懸りのいいものはない。その爪懸りのいい幹へ一気呵成に馳け上る。馳け上っておいて馳け下がる。馳け下がるには二法ある。一はさかさになって頭を地面へ向けて下りてくる。一は上ったままの姿勢をくずさずに尾を下にして降りる。人間に問うがどっちがむずかしいか知ってるか。人間のあさはかな了見では、どうせ降りるのだから下向に馳け下りる方が楽だと思うだろう。それが間違ってる。君等は義経が鵯越を落としたことだけを心得て、義経でさえ下を向いて下りるのだから猫なんぞは無論下た向きでたくさんだと思うのだろう。