Classiques japonais avec furigana
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しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
Lisez 思想としての文学 (しそうとしてのぶんがく) de 戸坂 潤 (とさかじゅん) en japonais avec furigana. JLPT N2. Touchez un mot pour le sens.
N2 · avancé · kanji et kana modernes · 209 809 caractères · 408 écrans
自意識とは道徳的機械作用を意味している。つまり不安動揺しながらそれにも拘らず絶対的に一定の方程式乃至関数関係を見出して安定しなければならぬ機械作用が、自意識なのだ。だからこの自意識とは均衡を終局の目標として努力する倫理のことに他ならぬ。均衡とは機械作用の道徳的理想だということが出来る。自意識の文学は、倫理上の均衡理論なのである。之は機械論の極致だ。
横光の描く倫理が、如何に人間と人間との間の、夫は又従って夫々の人間の良心に於ける、取引きの均衡、公平無私に集中しているかを見るがいい。この道徳的均衡・公平無私を得るために、夫々の「私」なるものが自分に知らず知らず加える比重のプラスを捨て去り捨て去りしながら、そうした倫理的な反省のエネルギーを排泄し積らせる結果、自意識は病的に(プロレタリアなどなら吹き出す程滑稽に)過剰とならざるを得ないのである。擲られて初めて安心する男や、又計算し直して少し擲り返さねばならぬと思う男が、殆んど総ての人物の種類をつくしている。こういう過剰意識を整理するためには、作家はカントの意識一般のような「私」(『紋章』に於ける)や、四人称というような文学的な非人称判断(イムペルソナリエン)を工夫しなければならなくもなる。