Classiques japonais avec furigana
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Lisez des classiques japonais en ligne avec furigana. Filtrez par niveau JLPT, touchez un mot pour le sens et traduisez une phrase.
わがじんせいかん
我が人生観
Lisez 我が人生観 (わがじんせいかん) de Sakaguchi Ango (坂口 安吾) en japonais avec furigana. JLPT N2. Touchez un mot pour le sens.
N2 · avancé · kanji et kana modernes · 5 871 caractères · 12 écrans
ミイラは現世だけしか見ていないのだ。その身は万年の後に残ることを考えていたかも知れぬが、見ていたものは現世だけだ。現世と、そして、妄執だけなのだ。そして、現世への妄執が具現したものが、法隆寺であり、金色堂であり、東照宮であった。高雅な精神などは、どこにもない。
しかしながら、私のように、芸術家の素質が不足していると、ミイラになりかけてみないと、俗悪になりきることができないものだ。なんとなく高雅なものを空想したり、自分のみじめな現実に負けたりして、俗悪精神を羽いっぱいひろげることができない。チエホフだの、ショパンだのという人はミイラになりかけなくても、それができたのだから、天才なのである。
私はミイラになりかけて、ようやく人間を見たようなものだ。あるいは、人間に、本当の人間になりかけたのかも知れない。
数学だの物理学というものの新発見は、その人の十代から二十代のうちに行われるのが通例だそうだ。あとの一生はそれをフエンする一生だという。
文学も、まア、そうだ。その人の限界は、だいたい二十代にそのキザシが確立されている。あとは技術的に完成するか、迷路を廻り路するか、そんな風にして、ふとっていくだけのことだ。