Lecture japonaise

Classiques japonais avec furigana

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Lisez des classiques japonais en ligne avec furigana. Filtrez par niveau JLPT, touchez un mot pour le sens et traduisez une phrase.

ちょうへんしょうせつしけん

長篇小説私見

豊島 与志雄

Lisez 長篇小説私見 (ちょうへんしょうせつしけん) de 豊島 与志雄 (とよしまよしお) en japonais avec furigana. JLPT N2. Touchez un mot pour le sens.

N2 · avancé · kanji et kana modernes · 4 065 caractères · 8 écrans

Aozora Bunko

事実に即して云おう。短篇の批評に於ては、作者の態度とか心境とかいうことが、作品の内容と切離して見らるることが多い。ところでこの作者の態度とか心境とかいうものは、云わば人生に対する作者の身構えであって、それは作品の基調となるものではあるが、作品の中に直接盛りこまれるものではない。だからこの問題に関する限り、作者はその作品の内容について、常にこう云うことが出来る、「あれは、或る人物の或る場合のことを書いたのだ。」

こうして作者が一人傲然と構える時、そこに置きざりにされた「或る人物の或る場合」はどうなるか。それは一つの特殊の相ではある。或る人物の或る場合であることに変りはない。だが、この「或る」というのが曲者だ。人は誰でも人間たる限り、自分のうちに無数の動向性を有し、偶然への無数の逢着性を有している。それ故、「或る」という特殊は、可能という見地からすれば、直ちに普遍となる。或る人物の或る場合は、誰でもいつ出逢うか分らない場合となる。

作者はその態度とか心境とかいう立場で作品の後方に控え、作品は或る人物の或る場合という口実の下に普遍性を帯び、そしてただ芸術的技法のみが問題となってくる時、作品中の人物が独自の存在を失ってくるのは、当然の結果であろう。