Lettura giapponese

Classici giapponesi con furigana

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わたしはかいぎはだ

平凡・私は懐疑派だ

二葉亭 四迷

Leggi 平凡・私は懐疑派だ (わたしはかいぎはだ) di 二葉亭 四迷 (ふたばていしめい) in giapponese con furigana. JLPT N2. Tocca una parola per il significato.

N2 · avanzato · kanji e kana moderni · 19.626 caratteri · 41 schermate

Aozora Bunko

ところが日本の文学の発達を考えて見るに果してそう云うモーメントが有ったか、有るまい。今の文学者なざ殊に、西洋の影響を受けていきなり文学は有難いものとして担ぎ廻って居る。これじゃ未だ未だ途中だ。何にしても、文学を尊ぶ気風を一旦壊して見るんだね。すると其敗滅の上に築かれて来る文学に対する態度は「文学も悪くはないな!」ぐらいな処になる。心持ちは第一義に居ても、人間の行為は第二義になって現われるんだから、ま、文学でも仕方がないと云うように、価値が定まって来るんじゃないかと思う。

一寸親子の愛情に譬えて見れば、自分の児は他所の児より賢くて行儀が可いと云う心持ちは、濁って垢抜けのしない心持ちである。然るに垢抜けのした精美された心持ちで考えると、自分の児は可愛いには違いないが、欠点も仲々ある、どうしても他所の児の方が可い、併し可愛いとなる。これと同じ事で、文学にしがみ付いて、其でなきゃ夜も日も明けぬと云うな、真に文学を愛するもんじゃないね。今の文学者が文学に対する態度は真面目になったと云うが、真面目じゃなくて熱心になっただけだろう。法華信者が偏頗心で法華に執着する熱心、碁客が碁に対する凝り方、那様のと同様で、自分の存在は九分九厘は遊んでいるのさ。