Classici giapponesi con furigana
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がもううじさと
蒲生氏郷
幸田 露伴
Leggi 蒲生氏郷 (がもううじさと) di 幸田 露伴 (こうだろはん) in giapponese con furigana. JLPT N2. Tocca una parola per il significato.
N2 · avanzato · kanji e kana moderni · 65.772 caratteri · 128 schermate
秀賦の名は秀吉と相犯すを忌んで、改めて氏郷としたのであって、先祖田原藤太秀郷の郷の字を取ったのである。天正の十六年、秀吉が聚楽の第を造った其年、氏郷は伊勢の四五百森へ城を築いて、これを松坂と呼んだ。前の居城松ヶ島の松の字を目出度しとして用いたのである。当時正四位下左近衛少将に任官し、十八万石を領するに至った。
小田原陣の時、無論氏郷は兵を率いて出陣して居て、割合に他の大名よりは戦に遇って居り、戦功をあらわして居る。それから関白が武威を奥羽に示すのに従属して、宇都宮から会津と附いて来たのであるが、今しも秀吉の鑑識を以て会津の城主、奥州出羽の押えということに定められたのである。
氏郷は法を執ること厳峻な人で、極端に自分の命令の徹底的ならんことを然る可き事とした人である。勿論乱れ立った世に在っては、一軍の主将として下知の通りに物事の捗ぶのを期するのは至当の訳で、然無くても軍隊の中に於ては下々の心任せなどが有ってはならぬものであるが、それでも自らに寛厳の異があり程度がある。郭子儀、李光弼はいずれも唐の名将であるが、陣営の中のさまは大に違っていたことが伝えられている。