Classici giapponesi con furigana
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にんしきろんとはなにか
認識論とは何か
戸坂 潤
Leggi 認識論とは何か (にんしきろんとはなにか) di 戸坂 潤 (とさかじゅん) in giapponese con furigana. JLPT N2. Tocca una parola per il significato.
N2 · avanzato · kanji e kana moderni · 58.432 caratteri · 116 schermate
カントが元来又そうだった。それを宗派的なサンスクリットにしたものは、末流者の徒である。尤もE・フッセルルの現象学的術語は、その学術上の便宜性に於て価値のある一例であるが、そのままでは哲学の準備のための用語を出ないのであって、哲学自身の用語としては常識への翻訳を必要とする。私は彼の「第一哲学」という観念をこういう風に準備哲学のことと見做している。そうでなければスコラ的な学術僧院用語に堕する他ない。
さて認識は普通、哲学学術的常識では、科学的認識のことを指すようになっている。単なる知覚、単なる経験さえも、まだ認識ではない。科学的体系を意味する時初めて、認識の名に値いする、という考え方は珍しくない。尤もここにはすでに可なり厄介な問題がひそんでいる。認識というからには真実を真実と認識し、虚偽を虚偽として認識する、という真理価値の肯定が想定されている。そうでないものは認識でない、ということも併せ考えられているわけだ。併しそれならば、独りこの「認識」に限らず、知覚であろうと経験であろうと、真実を受け取り真実を体験するか否か、というケジメを含んでいなければならなかった筈である。