Classici giapponesi con furigana
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さっかくじがせつ
錯覚自我説
辻 潤
Leggi 錯覚自我説 (さっかくじがせつ) di 辻 潤 (つじじゅん) in giapponese con furigana. JLPT N2. Tocca una parola per il significato.
N2 · avanzato · kanji e kana moderni · 3789 caratteri · 8 schermate
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現代においてはすべて形而上的な一切の思想は季節外れである。芸術(特に文学)においても幻想的な、主観的な、浪漫的なものはすでに過去の遺物ででもあるかの如く蔑視されている。
時代の潮流と共に歩調し得ないあらゆる思想や芸術はほろび去るがいい!
来るべき天国への鍵は新興プロレタリアートのみで把握しているのだ。自余のブルジョア的、小ブルジョア的、インテリゲンチャ的の一切は来るべき天国への資格を欠いている。かれ等はやがて小気味よくもほろびんとしている人種どもである。たとえかれ等が如何にもがきあがこうとも最早生命の道を無残にも断絶されている過去的亡者どもである。
現実的、科学的、生産的なもののみが未来の栄光に与かり、溌剌たる健康な新世界に生きる資格を有しているのである。
私は果して然るか否かについてここに論じようとする者ではない。否、それには全然関係のない一友人の最近の著述について少しく語ろうとしているのである。
自我とはなんぞや? 自我とは人間の錯覚より起った一つの迷妄である。一切は相対的である。宇宙は歪んでいる。エーテルは果して存在しているか否か? マルクス的価値とアインシュタイン的価格とはいずれが高価なるや否や? 神聖にして犯すべからざる物は世界に果して幾個存在するか否か?――凡そこれ等の問題