Classici giapponesi con furigana
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わたしはかいぎはだ
平凡・私は懐疑派だ
二葉亭 四迷
Leggi 平凡・私は懐疑派だ (わたしはかいぎはだ) di 二葉亭 四迷 (ふたばていしめい) in giapponese con furigana. JLPT N2. Tocca una parola per il significato.
N2 · avanzato · kanji e kana moderni · 19.626 caratteri · 41 schermate
すると智識で「死」の恐怖を去る事は出来ん。死を怖れるのも怖れぬのも共に理由のない事だ。換言すれば其人の心持にある。即ち孔子の如き仁者の「気象」にある。ああ云う聖人の様な心持で居たらば、死を怖れて取乱す事もあるまい。人生の苦痛に対しても然り、聖人だって苦痛は有る、が、その間に一分の余裕があって取乱さん。悠々として迫らぬ気象、即ち「仁」がある。だから思想上で人生問題の解決が付くか否か解らんが、一方で人間に「仁」の気象を養ったら、何となく人生を超絶して、一段上に出る塩梅で、苦痛にも何にも捉えられん、仏者の所謂自在天に入りはすまいかと考えた。
そこで、心理学の研究に入った。
古人は精神的に「仁」を養ったが、我々新時代の人は物理的に養うべきではなかろうかという考になった。
心理学、医学に次いで、生理心理学を研究し始めた。是等に関する英書は随分蒐めたもので、殆ど十何年間、三十歳を越すまで研究した。呉博士と往復したのも、参考書類を読破しようという熱心から独逸語を独修したのも、此時だ。けれども其結果、どうも個人の力じゃ到底やり切れんと悟った。ヴントの実験室、ジェームスの実験室、其等が無ければ、何時迄経っても真の研究は覚束ないと思い出した。