Classici giapponesi con furigana
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にほんせいしんしけんきゅう
日本精神史研究
和辻 哲郎
Leggi 日本精神史研究 (にほんせいしんしけんきゅう) di 和辻 哲郎 (わつじてつろう) in giapponese con furigana. JLPT N2. Tocca una parola per il significato.
N2 · avanzato · kanji e kana moderni · 208.277 caratteri · 415 schermate
がゆえである。すなわち、悉有仏性と知って解脱(成仏)するのでなく、解脱して悉有仏性と知るのである。道元はこの点に仏法参学の正的を置き、「かくのごとく学せざるは仏法にあらざるべし」という。我々は道元の説く悉有仏性をかくのごとき真理体得の指標として解せねばならぬ。
悉有仏性がかくのごときものであれば、「無仏性」の語も自ら解かれるであろう。無仏性を道破したのは四祖大医であって、やがてこの無仏性の道は「黄梅に見聞し、趙州に流通し、大※(「さんずい+爲」、第3水準1-87-10)に挙揚」した。道元はこれらの諸祖について一々その語を評釈する。彼に言わせれば、「見仏聞法の最初に難得難聞なるは、衆生無仏性なり」。しかしながら、それが難得難聞であるのは、一切衆生悉有仏性を「一切衆生悉く仏性有り」と解して、それに「一切衆生仏性無し」を対せしめるからである。乳に酪性あり、乳に酪性なし、というと同じき意味において、仏性の有無を問題とするからである。これは仏性の意義を体得せざるに起因する。もし悉有仏性を道元の説くがごとくに体得すれば、そこに有無の論は起こらない。悉有、すなわち仏性は、有無を超絶した絶対の有である。