Classici giapponesi con furigana
ja-reading.com
Leggi i classici giapponesi online con furigana. Filtra per livello JLPT, tocca una parola per il significato e traduci una frase.
ずいひつ みやもとむさし
随筆 宮本武蔵
吉川 英治
Leggi 随筆 宮本武蔵 (ずいひつ みやもとむさし) di 吉川 英治 (よしかわえいじ) in giapponese con furigana. JLPT N2. Tocca una parola per il significato.
N2 · avanzato · kanji e kana moderni · 141.786 caratteri · 278 schermate
そして三十九歳の時、初めて朝倉家で細川藤孝(幽斎)と識り、四十一歳の時、初めて織田信長に会ってそれに仕えることになったのである。
こう見て来ると、二十八歳の離郷は、城地の滅亡が動機で、それからの十三年間の期間も、多くは大身の門に身を寄せ、また後半は仕官をしていて、その地域も限られているし、武者修行というような目的で、諸州を歩いたらしい足跡はない。勿論、その浪々中困窮はしたろうが、それが直ちに武者修行をして歩いたとはいえない。
むしろその点では、彼の旧主である斎藤道三のほうが、つぶさに実践していたかもしれない。道三については、こういう事蹟がある。これは彼の伝記の記載でなく、蜂須賀家の藩史、蜂須賀蓬庵伝のほうに見えるものであるから、かえって正確と思われるのである。
――中村能祐、龍空禅師に勧めて曰く、家名を絶つは不孝の大なるものなり、子孫の為、図るところあるべしと。禅師これに従ひ、蓄髪して、宅を蜂須賀邑に構へ、足利氏を改めて、浜といひ、小六正昭と称し、後蜂須賀氏に改む。(略)――是より子孫蜂須賀氏を襲ふて、累世氏名となしぬ。
時に、松波荘九郎といふ者、武者修行として、稀※(二の字点、1-2-22)、蜂須賀邑に到、日暮れ宿を求むるも応ずるものなし、小六正和、その居宅の檐下に躊躇せるを怪しみて故を問ひ、艱難相救ふ