Classici giapponesi con furigana
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にょぜがもん
如是我聞
Leggi 如是我聞 (にょぜがもん) di Dazai Osamu (太宰 治) in giapponese con furigana. JLPT N2. Tocca una parola per il significato.
N2 · avanzato · kanji e kana moderni · 22.895 caratteri · 45 schermate
の差し出す料理に、何一つ私は、おいしいと感じなかった。
ここで、いちいち、その「老大家」の名前を挙げるべきかとも思うけれども、私は、その者たちを、しんから軽蔑しきっているので、名前を挙げようにも、名前を忘れていると言いたいくらいである。
みな、無学である。暴力である。弱さの美しさを、知らぬ。それだけでも既に、私には、おいしくない。
何がおいしくて、何がおいしくない、ということを知らぬ人種は悲惨である。私は、日本の(この日本という国号も、変えるべきだと思っているし、また、日の丸の旗も私は、すぐに変改すべきだと思っている。)この人たちは、ダメだと思う。
芸術を享楽する能力がないように思われる。むしろ、読者は、それとちがう。文化の指導者みたいな顔をしている人たちのほうが、何もわからぬ。読者の支持におされて、しぶしぶ、所謂不健康とかいう私(太宰)の作品を、まあ、どうやら力作だろう、くらいに言うだけである。
おいしさ。舌があれていると、味がわからなくて、ただ量、或いは、歯ごたえ、それだけが問題になるのだ。せっかく苦労して、悪い材料は捨て、本当においしいところだけ選んで、差し上げているのに、ペロリと一飲みにして、これは腹の足しにならぬ、もっとみになるものがないか、いわば食慾に於ける淫乱である。