Lettura giapponese

Classici giapponesi con furigana

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ふじんさっかはなぜどうとくかか? そしてなぜおとこのびがえがけぬか?

婦人作家は何故道徳家か? そして何故男の美が描けぬか?

宮本 百合子

Leggi 婦人作家は何故道徳家か? そして何故男の美が描けぬか? (ふじんさっかはなぜどうとくかか? そしてなぜおとこのびがえがけぬか?) di 宮本 百合子 (みやもとゆりこ) in giapponese con furigana. JLPT N2. Tocca una parola per il significato.

N2 · avanzato · kanji e kana moderni · 1725 caratteri · 4 schermate

Aozora Bunko

(男七十銭女三十銭の賃銀)それ故進歩的思索を可能とする婦人は、先ず家庭の男(父・夫・兄・その他)に対する不平等の不満から正義派となり、その正義派的不満を唯物論によって武装せず個人的に観念化することにおいて、微妙に道徳感、宗教的世界観と結びつく。

故に、ブルジョア文化の歴史において婦人作家はいつも一種の道徳家であった。さもなければ淫蕩文学の作家となって性のブルジョア的販売に陥った。特に封建性のつよい日本において或る時期ブルジョア・インテリゲンツィアの婦人作家が、色恋を描かず、男の美を作品の中に描き得ないのは、まことに当然である。

性的アドーレーションは人的アドーレーションなしに不可能であるから。

野上彌生子の作品で母の愛が恋愛的に描かれ、母の息子に対する恋愛がはばかりなく描かれていることは、実にこの間の消息をかたって興味つきぬものがあるのである。いかなる封建性、きたないブルジョア・エロチシズム横行の中にあっても、その蒙昧さによって一応母の愛はその偽善も、バクロされないのである。

自分は今こそ「妻・母」として Full にものを云い得る。愛する男の美しさについて、その皮膚のすみずみに対する愛について、階級的統一のもとにあますところなく云い得る。