Classici giapponesi con furigana
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げんだいゆいぶつろんこうわ
現代唯物論講話
戸坂 潤
Leggi 現代唯物論講話 (げんだいゆいぶつろんこうわ) di 戸坂 潤 (とさかじゅん) in giapponese con furigana. JLPT N2. Tocca una parola per il significato.
N2 · avanzato · kanji e kana moderni · 251.295 caratteri · 490 schermate
彼等は存在を存在者・存在物・と考えるのではないが、そうかと云って、単に論理学的な・又は客観論理的な・「存在」には満足しなかった。否そこまで抽象化するだけの論理学的惰性をまだ持っていなかったと云うべきだろう。――彼等は「存在」を形相(形式、形態)と考えた。一定の形を持つということが、一定の姿を現わすということが、要するにイデアが、存在する・ある・ということだったのである。だからこそ実体(本質性)――それは存在者のことではなくて「存在」のことだ――が、一方に於ては普遍者であると考えられると同時に、他方に於ては之に反して個物だとも考えられたのである。ただの――コプラ的な――「ある」が普遍者であることを指し示したり、個物であることを指し示したりする筈はあるまい。
「存在」を単に「存在」――「ある」――として抽象して了う代りに、形相を有つこと(イデア)として理解するこの典型的な観念論にとって、では物質(又は質料)とはどういうものであったか*。
* 観念という言葉は決して古典的なものではない、イデアは必ずしも観念――この意識主観――を意味しない。観念論は元来イデア主義のことであるべきで、必ずしも観念主義のことではない。