Classici giapponesi con furigana
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しんらん
親鸞
三木 清
Leggi 親鸞 (しんらん) di 三木 清 (みききよし) in giapponese con furigana. JLPT N2. Tocca una parola per il significato.
N2 · avanzato · kanji e kana moderni · 36.550 caratteri · 73 schermate
そこに我々は彼の宗教における極めて深い「内面性」を見出すのである。しかし内面性とは何であるか。超越的なものが内在的であり、内在的なものが超越的であるところに、真の内面性は存するのである。内面性とは空虚な主観性ではなく、かえって最も客観的な肉体的ともいい得る充実である。
五濁悪世の衆生の
選択本願信ずれば
不可称不可説不可思議の
功徳は行者の身にみてり
あるいは、
弥陀のちかひのゆへなれば
不可称不可説不可思議の
功徳はわきてしらねども
信ずるわがみにみちみてり
という二種の和讃はこの趣を現わすであろう。
親鸞の文章には到るところ懺悔がある。同時にそこには到るところ讃歎がある。懺悔と讃歎と、讃歎と懺悔と、つねに相応じている。自己の告白、懺悔は内面性のしるしである。しかしながら単なる懺悔、讃歎の伴わない懺悔は真の懺悔ではない。懺悔は讃歎に移り、讃歎は懺悔に移る、そこに宗教的内面性がある。親鸞はすぐれて宗教的な人間であった。懺悔と讃歎とは宗教の両面の表現である。〔欄外 Augustinus〕親鸞の文章からただ懺悔に属するもののみを取り出して、彼の宗教の人間的であることを論ずる者は、彼の思想を単に美的なもの、文芸的なものにしてしまうことであって、いまだ宗教的人間のいかなるものであるかを知らざるものといわねばならぬ。