일본어 읽기 연습

후리가나로 읽는 일본 고전

ja-reading.com

후리가나가 있는 일본 고전을 온라인으로 읽으세요. JLPT 수준으로 골라 보고, 단어를 눌러 뜻을 확인하고, 문장을 번역하세요.

こくをみる

古句を観る

柴田 宵曲

柴田 宵曲의 古句を観る(こくをみる)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.

N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 166,028자 · 333화면

아오조라 문고

「仕舞歌」というのは、特にそういう唄がきまっているのか、ただ最後にうたうというだけでこういったのか、われわれにはよくわからない。

柳田国男氏の『民謡覚書』によると、「田植唄は、最近の約三、四十年が衰亡期であった。もはや復活する見込もなく、また年寄の歌の文句や節を記憶する者も、次第になくなろうとしている」ということである。田植は年々歳々繰返されても、田園を賑わす田植唄なるものは、払拭したように消え去る時が来るのかも知れない。そういう時代から過去を顧ることになったら、この句などは注目すべき一材料たるを失わぬであろう。

この句の眼目は「家々」と複数になっているところにある。夕暮近くなった田の面に響いて、方々から田植の仕舞唄が聞えて来る。どこも無事に田植をおわったらしいという、一安堵したような気持も窺われる。この場合、黙々として家に帰るのでは、一日の疲が身に残るに過ぎまい。一くさりの唄が如何に心身を和らげ、慰安を与えるか。――この句の連想の中にはそんなことも浮んで来る。

『民謡覚書』には、田植唄は朝と昼と夕で、それぞれうたう文句を異にする、いよいよ日が暮れてその日の田植が終る前になると、「田の神あげ」