일본어 읽기 연습

후리가나로 읽는 일본 고전

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あいとにんしきとのしゅっぱつ

愛と認識との出発

倉田 百三

倉田 百三의 愛と認識との出発(あいとにんしきとのしゅっぱつ)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.

N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 64,420자 · 129화면

아오조라 문고

フィロソファーとは愛知者という語義だという。しかし私は愛生者をこそ哲学者と呼びたい。

それから君はややもすれば単純なる心の持主、いわゆる善人をば軽蔑せんとする傾向があるがそれは悪いよ。考えてもみたまえ。もともとわれらは真正の善人――哲学的善人たらんがために哲学に志したのではないか。われらが冷たい思索の世界に、こうして凡俗の知らぬ苦労を嘗めているのは「真」のためでなく、「美」のためでなく、じつに「善」のためである。「実在」に対する懐疑よりもはるかに疾く、はるかに切実に「善」に対する懐疑に陥ったのであった。迷い惑うるわれわれの前にいかに荘麗に、崇高に、厳然として哲学の門は聳えたりしよ。われらは血眼になって傍目も振らず、まっしぐらに突入したのだ。

だからわが友よ、われらは彼ら善人を愛し、彼らの持てる純なる情と勇ましき力とをもって守るに価する真の善の宝玉を発見せねばならぬ。われら神聖なる哲学の徒は彼らの抱ける善の玉のいかに不純不透明にして雑駁なる混淆物を含みおるかを示して、雨に濡れたる艶消玉の月に輝く美しさを探ることを教えねばならない。濁水滔々たる黄河の流れを貪り汲まんとする彼らをして、ローマの街にありという清洌なる噴泉を掬んで渇を潤すことを知らしめねばならない。