후리가나로 읽는 일본 고전
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げんだいちゃじんひはん
現代茶人批判
北大路 魯山人
北大路 魯山人의 現代茶人批判(げんだいちゃじんひはん)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 8,554자 · 17화면
徳川末期に良寛和尚が生まれたような奇跡の事象が生ぜぬかぎり、今を昔に返すことはむずかしい。
かつて御殿山氏は、自邸に窯を築き陶人を招き、所蔵の名器を展示し、数年に渉り風雅陶の再現を試みたのであったが、吾人の見るところではぜんぜん失敗に終わってしまったのである。これは鈍翁の考え方に最初から真実が欠けており、従って不純に出発しており、所詮浅薄の誹りを免がれない挙措であったのである。かような次第にして、そこに芸術の生まれようはずのないことは、論議の余地がないのである。況や、陶工を駆使して大業を成しとげんとなすがごときは、滑稽といわざるを得ない。このような失態を目前に見ながら、またぞろ人もあろうに、御殿山氏の陶工を招いて、青山氏が自邸に築窯を試みたということ、物の理解のない仕打ちもここまで来てはなんと評する言葉もない始末である。両者とも数多美術品は蒐めてみても、美の魂とかかわりなくつき合ってきた者というものは、真にみじめなもので、御殿山氏といい、青山翁といい、俺が俺がでうるさいまでの指導をやってみたことであろうが、なにが出来るものではなかったのである。
その次に剽軽者として、両者の失敗をつぶさに見て取っているにもかかわらず、しからば乃公がと、またまた現われ出て来たのは久吉翁である。