후리가나로 읽는 일본 고전
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どうとくのかんねん
道徳の観念
戸坂 潤
戸坂 潤의 道徳の観念(どうとくのかんねん)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 71,388자 · 140화면
何人も「自分」の自分を他人の自分と取り換えることは出来ない。ここに古来人間が一日も忘れることのなかった「自分」というものの意味があるのである。この自分はもはや決して個人ではない。個人はなお一般的だ、従って「自分」こそ最後の特殊的なものだ、ということとなる。――処でモラルはこの「自分」というものと深い関係があるだろう。
問題はそこでまず、この自分なるものが社会科学でどう取り扱われ得るかである。自分というこのごく日常的な常識にぞくする観念を、下手に哲学的に解明しようとすると、忽ち札つきの観念論に陥らざるを得ない。事実之までの思い切った観念論(バークリやフィヒテの主観的観念論)は単に観念を馬鹿々々しく尊重したことがその動機なのではなくて、この「自分」なるものを観念のことだと思い誤ったり、又之を観念的に掴むことが相応わしいことだと思い込んだりしたことに由来する。「自分」は社会科学(つまり史的唯物論――唯物論)でどう取り扱われるか。
M・シュティルナーは何と云っても参照を免れまい。シュティルナーに云わせれば、「神と人類とは何物にも頓着しない、自分以外の何物にも。