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デカルトてつがくについて
デカルト哲学について
西田 幾多郎
西田 幾多郎의 デカルト哲学について(デカルトてつがくについて)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 19,032자 · 38화면
神はそれ自身を表現するものである。我々の観念が神を原因とするかぎり明晰判明である、十全である。要するにコーギトー・エルゴー・スムから出立したデカルト哲学は、スピノザに至らなければならない。「すべてあるものは神に於てあり、神なくして、何物もあることも、理解せられることもできない」(Ethica. Prop. 15 p. 1)というに至って極まるのである。スピノザ哲学は、デカルトの実体から出立して、その主語的論理の極に達したものということができる。此に至って、全然我々の自己の独自性は失われて、我々は実体の様相となった。我々は神の様相としてコーギトーするのである。我々の観念が神に於てあるかぎり、我々は知るのである。斯くして我々の自己の自覚が否定せられるとともに、神は対象的存在として我々の自覚の根柢たる性質を失った。最も具体的たるべき神は、最も抽象的にカプト・モルトゥムとなった。
デカルトはすべての物を疑った。天も、地も、精神も、物体も、世界において何物もない、自己というものまでもないのでないかと考えて見た。無論、斯く考える私はある。しかし偉大なる欺瞞者があって常に私を欺いているのでもなかろうか。