후리가나로 읽는 일본 고전
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はいくはかくかいしかくあじわう
俳句はかく解しかく味う
高浜 虚子
高浜 虚子의 俳句はかく解しかく味う(はいくはかくかいしかくあじわう)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 73,016자 · 144화면
桜とか柘榴とか梨とか松とか樟とか樅とかいうものと比較したら、やはり草花としての相似点を持っているといわねばならぬ。即ち芭蕉の文学としての俳句は、他の桜や松や樟やに相当する他の文学と比べたら、如何なる時代を通じても殆んど同じものと言わねばならぬのである。その差を論ずるのは草花の中の差を論ずるのである。俳句を芭蕉の文学として講ずる本書においては、その差は大問題とはならぬのである。太祇は句三昧と称えて一切他事を擲ち蟄居して句作にのみ苦心する事などがあったそうな。とにかく作句に苦心して熱心であった事は古今有数の一人とせねばなるまい。その句の傾向は平生目睹する卑近な人事景色の内から、比較的趣味の深い趣向を見つけ出して、屈折をつけて平凡でないように叙するのである。団洲が好んで英雄豪傑に扮するように、蕪村の取材は必ず卑近でない方に傾こうとしている。よし卑近な人事を叙するにしても、一度蕪村の口に上ると、どことなく蕪村的となってしまう。団洲が百姓町人になっても団洲的となってしまうのと同じ事である。蕪村の句だから蕪村的となり、団洲が演ずるのだから団洲的となるのは当然の事で、不審するのがそもそもの間違いではあるが、その不得意な方面に働くために、面白いと感ずるよりも、多少の不自然を感じて、いわゆる蕪村臭、団十郎臭を感ずるのである