일본어 읽기 연습

후리가나로 읽는 일본 고전

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はじめてにしだきたろうのなをきいたころ

初めて西田幾多郎の名を聞いたころ

和辻 哲郎

和辻 哲郎의 初めて西田幾多郎の名を聞いたころ(はじめてにしだきたろうのなをきいたころ)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.

N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 4,030자 · 8화면

아오조라 문고

哲学者などといえばとかく人生のことに迂遠な、小難かしい理屈ばかり言っている人のように思われるが、先生は決してそんな干からびた学者ではない。それは先生が藤岡東圃の子供をなくしたのに同情して、自分が子供をなくした経験を書いていられる文章を見ても解る。哲学者で宇宙の真理を考えているのだから、子供をなくした悲しみぐらいはなんでもなく超越できるというのではないのだ。実に人間的に率直に悲しんでいられる。亡きわが児が可愛いのは何の理由もない、ただわけもなく可愛い。甘いものは甘い、辛いものは辛いというと同じように可愛い。ここまで育てて置いて亡くしたのは惜しかろうと言って同情してくれる人もあるが、そんな意味で惜しいなどという気持ちではない。また女の子でよかったとか、ほかに子供もあるからとかと言って慰めてくれる人もあるが、そんなことで慰まるような気持ちでもない。ただ亡くしたその子が惜しく、ほかの何を持って来ても償うことのできない悲しみなのだ。亡き子の面影が浮かんでくると、無限になつかしく、可愛そうで、どうにかして生きていてくれればよかったと思う。死は人生の常で、わが子ばかりが死ぬのではないが、しかし人生の常事であっても、悲しいことは悲しい。