후리가나로 읽는 일본 고전
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こくをみる
古句を観る
柴田 宵曲
柴田 宵曲의 古句を観る(こくをみる)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 166,028자 · 333화면
西瓜の中味もよく熟し、すかと切る庖刀を露の滴る様なども連想に浮んで来る。
畑々や豆葉のちゞむ秋日和 卓袋
柳田国男氏の『豆の葉と太陽』という本を近刊予告で見た時、どういう意味の標題か、見当がつかなかったが、その内容を一読するに及んで、奥州の大豆畠における日光の美しさを説いた文章が、巻頭に置かれてあるための名であることがわかった。今日の風景鑑賞家なるものが、妙に農作物の色調に無関心であることは、柳田氏の説の通りであろう。もしこの間の消息を解する者があるとすれば、それは俳人の畠でなければならぬと思ったら、果してこういう句のあるのに気がついた。
この句は柳田氏が説かれたように、豆の葉の美しさを明瞭に描いてはいない。ただこれを読むと、一面の豆畠に強い秋の日が照っている、明るい光景が展開する。豆の葉はもう黄ばんでちぢんでいる。その色調を現さぬのは、俳人がそういう感覚に無頓著なのではなくて、「ちゞむ」の語に豆の葉の已に黄ばんでいることを含ませたものと見るべきであろう。
豆の葉などというものは、平安朝以来の伝統に立つ歌よみの顧るべき材料ではない。殊にそれが少し黄ばんで、ちぢれ気味になりながら、秋天の下に展けている光景の如きは、恐らくは油画が渡来するまで、画家といえども看過していた美しさではあるまいか。