후리가나로 읽는 일본 고전
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てつがくにゅうもん
哲学入門
三木 清
三木 清의 哲学入門(てつがくにゅうもん)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 110,592자 · 219화면
すべての個人がめいめい自由に自己の幸福と考えるものを飽くまでも追求するとき、そこに自然に社会全体の幸福が結果すると考えるのがベンサムの社会的快楽説である。従ってその根柢には予定調和の形而上学のオプティミズムが横たわっている。
ところでカントは、快楽とか幸福とかを道徳の原理とすることは、道徳の原理を内容に求めるものとして排斥した。道徳は普遍妥当的なものでなければならぬ。しかるに意志の内容は普遍的なものであり得ず、従ってそれを原理とするとき、道徳の普遍妥当性は基礎付けられない。快楽説や功利主義などは相対主義に陥らねばならぬ。そこで道徳の普遍妥当性は内容にでなく形式に求められねばならぬとカントは主張した。知識の場合、その普遍妥当性の根拠が思惟の形式に求められたように、道徳の場合にも、その普遍妥当性の根拠が意志の形式に求められたのである。道徳の形式は意志の形式として主観に属するのであるから、形式主義は主観主義である。かような主観主義は、道徳においては実際にどうあるかということが問題でなく、何を為すべきかということが問題であり、道徳は事実にでなく当為に関わると考えられる故に、この場合、知識の場合におけるよりも一層理由を有するように思われる。