후리가나로 읽는 일본 고전
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いわゆるひひょうの「かがくせい」についてのこうさつ
所謂批評の「科学性」についての考察
戸坂 潤
戸坂 潤의 所謂批評の「科学性」についての考察(いわゆるひひょうの「かがくせい」についてのこうさつ)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 10,581자 · 21화면
それは散文文学としての小説の要求を充分に充たすことが出来ないという点だ。恐らく韻文特に抒情詩ならば身辺的なものでよく、わたくし的なものでいいかも知れない。この韻文精神が抒情詩ならぬ小説というジャンルに適用されたために起きた矛盾か何かが、私小説に対する懐疑を産んだのだ。処でこの身辺小説的精神が、そのままのアナロジーを以て、批評精神に持ち込まれて、それで充分であるという保証はどこにもない。小説さえ私小説に満足出来ないものがある。なぜというに、それは詩から遠いからだ。して見ると益々詩というジャンルから離れているだろうクリティシズムが、韻文精神にぞくする身辺性ばかりを以てしては満足出来ないのが、あたり前ではないだろうか。
要するに批評に於ては、それの身辺小説的なアナロジーとも云うべき「印象批評」はそれが仇名のものでなくて上乗のものであっても、決してクリスティシズムそのものの上乗であるとは云うことが出来まい。そこでは印象が、批評家の「自分」にとっては、充分に客観化され必然化されている。勿論これはこの批評家の「自分」なる個性が顕著になるということと少しも矛盾はしない。