후리가나로 읽는 일본 고전
ja-reading.com
후리가나가 있는 일본 고전을 온라인으로 읽으세요. JLPT 수준으로 골라 보고, 단어를 눌러 뜻을 확인하고, 문장을 번역하세요.
にほんのみんしゅうと「にほんてきなるもの」
日本の民衆と「日本的なるもの」
戸坂 潤
戸坂 潤의 日本の民衆と「日本的なるもの」(にほんのみんしゅうと「にほんてきなるもの」)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 8,821자 · 18화면
処がその自我が実はただの自我ではなくて、結局ブルジョア社会に於ける小市民的な自我でしかなかったという自覚=自我意識が、例えば芥川の自決を決定したという風に云われている。自我というものの果すさっき云ったような文学的認識に於ける役割がハッキリしていなくて、自我の探究という名義の下に、方法上のカテゴリーに過ぎない自我が、そのまま探究の対象に他ならぬものと想定されていたわけで、従って、小市民的自我(日本の多くの文学では之がブルジョアジーを代表する)の行きづまりの自覚は、遂に文学的機能としての自我をも同時に窮地に陥れて了ったのである。
だが、この時はすでにプロレタリア文学の台頭が準備されていた時期だ。処がプロレタリア文学はその最大の繁栄期と考えられる時期に於ても、所謂自我の探究というような名目を採用しなかった。極端に云えば自我の代りに社会が問題にされたとさえ思われた。「自我」の破産を目の前にして、それに代るものが同じく自我という古い器を尊重する筈はなかったのだ。処がそれにも拘らず、元来当然なことだが、之こそ新しい自我の探究であったことを、プロレタリア文学の圧倒的な読者が誰よりもよく知っている。