후리가나로 읽는 일본 고전
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わたしのみただいがく
私の見た大学
戸坂 潤
戸坂 潤의 私の見た大学(わたしのみただいがく)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 1,841자 · 4화면
私の考え方にはいつも微量のフィロロギー(文献学)とカテゴリー論とがある。だから知性と言わずに知能とか理性とか言いたくなるのだし、「ファッショかマルクスか」などとは言う気にならずに「ファッシズムかコンミュニズムか」といい直さなければ落ちつかないのだ。ここがアカデミックな点なのだろう。アカデミズムとジャーナリズムという対語も、この見方で行くと気に入らない。アカデミー(大学の如き)とジャーナリズム(報道現象)との対語でなくてはカテゴリー論の虫がおさまらない。
さてこうしたフィロロギーとカテゴリエン・レーレとは大学のアカデミーの絶大な価値を生むものだと私は信じている。今日の大学は、それがブルジョア科学の大学であっても、文化技術の素養的習得を与えるというアカデミー機能に於ては、尊重すべき存在なのだ。私のように大学と縁の薄くなっている者は、学術図書館の一つもない日本では、この点甚だ文化的に苦境に立たざるを得ない。一寸ものを調べるのにも大変骨が折れるわけだ。
だが私はアカデミー至上主義に対しては判然と反対せざるを得ない。今日の大学は文化的技能の技術的な素養的な訓練をしか与えない。