후리가나로 읽는 일본 고전
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しごとしてのにほんご
詩語としての日本語
折口 信夫
折口 信夫의 詩語としての日本語(しごとしてのにほんご)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 13,401자 · 27화면
多くの詩人や、詩の観察者は、これより前にこそ、沢山の古語詩があったものと想像して来ている様である。ところが事実は、そうあるべく考えた想像に過ぎなかった。明治十年代後期から二十年代に通じて現れた詩が、今日見て、いきなり詩としての価値の乏しさを感ぜさせるのは何によるのか。直観的にわれわれはまず嫌悪を感じる。それはまだ詩の文体を発見しない時代であり、既に発見して居ても、平俗なばらっど――日本的に言えばくどき節――の臭気をさえ深く帯びて居た。言葉の排列が、独立した文体の感覚を起させれば、詩としての基礎と、更に詩としての価値の半分は出来上っているのだと言う反省などは、持つ事の出来ない時代であった。ある人々は、七五調四行の今様を準拠としようとし、ある人々は、五七連節の長歌によろうとした外は、漠然と西洋詩型に、生命を托しようとした。併し日本語をば西洋詩型に入れようとする事が、どう言う意味を持っているか、そう言うことの思われない啓蒙期であった。詩は発想であり、思想をまず生活化してその生活の律動によって、新しい詩型は生れる筈だったが、それを考える事すらしなかった初めの詩体は、決して初めの時代だけに終らなかった。