후리가나로 읽는 일본 고전
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にんしきろんとはなにか
認識論とは何か
戸坂 潤
戸坂 潤의 認識論とは何か(にんしきろんとはなにか)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 58,432자 · 116화면
と云うのは、認識はただの認識ではなくて、正に真理=真実の認識であるからだ。
で認識は少なくとも真理=真実という客観的な側面から、理解を進めて行かれねばならぬ。認識を仮に主観的な作用であると考えても、認識は真理という客観関係を対象としなければならぬ。処が認識は、普通この言葉が使われている通り、単に主観の作用ではなくて、認識のもつ出来上った内容である。作用でなくて内容だと云っても、まだ主観的だと考えられるかも知れないが、夫は現象学的意識分析の狭い視野に立って物を云うからであって、之を社会的角度に於て見れば、認識内容は一つの客観的「対象」なのだ。――して見ると、認識と真理、少なくとも認識内容と客観的真理、とは合致しなければならぬ。認識は常に真理でなくてはならぬ。真理という名詞と一つであるばかりでなく、真理という形容詞と一つでなくてはならぬ。認識は真でなくてはならぬ、ということになる。
真理は却って主観的なものではないか、という揚足取りは問題にならぬ。単に内部的内面的なものはヘーゲルも云っているようにケチなものに過ぎぬ。内面的なものに価値があるのは、それが初めて公平無私な去私則天的な客観性を有っているからなのだ。