일본어 읽기 연습

후리가나로 읽는 일본 고전

ja-reading.com

후리가나가 있는 일본 고전을 온라인으로 읽으세요. JLPT 수준으로 골라 보고, 단어를 눌러 뜻을 확인하고, 문장을 번역하세요.

さっかくじがせつ

錯覚自我説

辻 潤

辻 潤의 錯覚自我説(さっかくじがせつ)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.

N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 3,789자 · 8화면

아오조라 문고

ただ経験的に、方便的にある措定と仮定の上に立って数えるだけである。形而上的には一人の個人は一人でも二人でもなく、今や水の如く遍融無碍の流動在である。ただその流動が長い間の惰性によって一点を中心として緊縮せられたに過ぎぬ。死によらずんばこれ等何千万年の惰性を打砕して本然の微分流動に放化し、散却することが出来ぬ。が一度心眼を開いて黙想するならばこの縦鼻広目の活人そのままのかれを微分流動の中に放って数えることが出来る。要するに一の個人はただかれを中心として全宇宙の流動循環が浪打ち来るその一切の力の尖端における全宇宙の一表現、一仮現に過ぎない。それゆえ、個人はそのまま全宇宙である。

私は今、徒らに古谷栄一氏のパアロットになっているのではない。私はすでに十余年前から仏教の実在観に降伏してしまっている人間なのである。そうして古谷君の旧著『オイケン哲学の批難』なる著書は、私の十年来の愛読書の一ツなのである。

私は古谷栄一氏の著書に対して非常な興味をもっていたが、更にその人物に対して更にそれ以上の好奇心を抱いていた。しかし、氏の十余年以上の沈黙は私をしてしばしばかれの存在をさえ疑わしめたのであった。