일본어 읽기 연습

후리가나로 읽는 일본 고전

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きたむらとうこくのみじかきいっしょう

北村透谷の短き一生

島崎 藤村

島崎 藤村의 北村透谷の短き一生(きたむらとうこくのみじかきいっしょう)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.

N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 8,267자 · 17화면

아오조라 문고

な、落ち着いた人だったから、殆んど自分では表立って何も発表しなかったが、種々な面倒臭い雑用なんかを一人で引き受けて、随分あの雑誌のためには蔭になって力を尽した人であった。文学界の先ず受けた非難は、不健全という事であった。それに対しても吾々若いものは皆激しい意気込を持っていたから、北村君などは「どうも世間の奴等は不健全で可かん」とあべこべに健全を以て任ずる人達を、罵るほどの意気で立っていた。北村君が最初の自殺を企てる前、病いにある床の上に震えながらも、斯ういう豪語を放っていたという事は、如何にも心のひるまなかった証拠であると思う。文学界へ書くようになってからの北村君は、殆んど若い戦士の姿で、『人生に相渉るとは何ぞや』とか『頑執盲排の弊を論ず』とか、激越な調子の文章が続々出て来て、或る号なぞは殆んど一人で、雑誌の半分を埋めた事もあった。明治年代の文学を回顧すると民友社というものは、大きな貢献をした事は事実であるし、蘆花、独歩、湖処子の諸君の仕事も、民友社という事からは離しては考えられない。遠くから望むと一群の林のような観をなしていたが、民友社にも種々異った意見を持った人が混っていて、透谷君の激しい論戦は主に民友社の徳富蘇峰氏、山路愛山氏などを対手取ったものであった。