후리가나로 읽는 일본 고전
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『わがはいはねこである』じょうへん
吾輩は猫である
夏目 漱石의 吾輩は猫である(『わがはいはねこである』じょうへん)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 322,123자 · 643화면
親子の関係が面白くないと云って欧洲人のようにこの関係を改良して落ちつきをとろうとするのではない。親子の関係は在来のままでとうてい動かす事が出来んものとして、その関係の下に安心を求むる手段を講ずるにある。夫婦君臣の間柄もその通り、武士町人の区別もその通り、自然その物を観るのもその通り。――山があって隣国へ行かれなければ、山を崩すと云う考を起す代りに隣国へ行かんでも困らないと云う工夫をする。山を越さなくとも満足だと云う心持ちを養成するのだ。それだから君見給え。禅家でも儒家でもきっと根本的にこの問題をつらまえる。いくら自分がえらくても世の中はとうてい意のごとくなるものではない、落日を回らす事も、加茂川を逆に流す事も出来ない。ただ出来るものは自分の心だけだからね。心さえ自由にする修業をしたら、落雲館の生徒がいくら騒いでも平気なものではないか、今戸焼の狸でも構わんでおられそうなものだ。ぴん助なんか愚な事を云ったらこの馬鹿野郎とすましておれば仔細なかろう。何でも昔しの坊主は人に斬り付けられた時電光影裏に春風を斬るとか、何とか洒落れた事を云ったと云う話だぜ。心の修業がつんで消極の極に達するとこんな霊活な作用が出来るのじゃないかしらん。