후리가나로 읽는 일본 고전
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『わがはいはねこである』じょうへん
吾輩は猫である
夏目 漱石의 吾輩は猫である(『わがはいはねこである』じょうへん)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 322,123자 · 643화면
季子は剣を墓にかけて、故人の意に酬いたと云うから、余も亦「猫」を碣頭に献じて、往日の気の毒を五年後の今日に晴そうと思う。
子規は死ぬ時に糸瓜の句を咏んで死んだ男である。だから世人は子規の忌日を糸瓜忌と称え、子規自身の事を糸瓜仏となづけて居る。余が十余年前子規と共に俳句を作った時に
長けれど何の糸瓜とさがりけり
という句をふらふらと得た事がある。糸瓜に縁があるから「猫」と共に併せて地下に捧げる。
どつしりと尻を据えたる南瓜かな
と云う句も其頃作ったようだ。同じく瓜と云う字のつく所を以て見ると南瓜も糸瓜も親類の間柄だろう。親類付合のある南瓜の句を糸瓜仏に奉納するのに別段の不思議もない筈だ。そこで序ながら此句も霊前に献上する事にした。子規は今どこにどうして居るか知らない。恐らくは据えるべき尻がないので落付をとる機械に窮しているだろう。余は未だに尻を持って居る。どうせ持っているものだから、先ずどっしりと、おろして、そう人の思わく通り急には動かない積りである。然し子規は又例の如く尻持たぬわが身につまされて、遠くから余の事を心配するといけないから、亡友に安心をさせる為め一言断って置く。