후리가나로 읽는 일본 고전
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てつがくのげんだいてきいぎ
哲学の現代的意義
戸坂 潤
戸坂 潤의 哲学の現代的意義(てつがくのげんだいてきいぎ)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 22,718자 · 45화면
ここに理論というものがあり、そこに方法というものが横たわる。そしてそこに初めて、思想の名に値いする思想というものがある。極端に云えば好み一つ、趣味一つにも、思想の地層はよく見える。
この「思想」を又の名によって認識と呼んでいる。尤も認識というと主に科学的認識ばかり考える人が多い。だが一切の直観は抑々なぜ認識でないのか。認識を科学的認識と限定することは、新カント派の認識論の一つの性癖にしか過ぎない。道徳的判断さえも亦実は認識だ。尤も道徳的判断は所謂判断の一種であるという理由で認識の内に這入るという意味ではない。道徳というものは要するに道徳的判断以外の何ものでもないので、判断を単に論理学のものと考えたり、無作為な解釈の一種と考えたりすれば別だが、水を含んで之を甘しとし、欣然として之を飲みほすことがなぜ一体、判断ではないか。苦がい水は吐き出すに違いない。道徳的行為だってそういう判断だ。道徳的判断をしてから道徳的行為をするとばかり考えるのは、道徳について倫理先生式観念であって、では道徳的判断から道徳的行為にまで行かせるものは判断なのか行為なのか。判断は実践という馬車の車丁に他ならぬ。