일본어 읽기 연습

후리가나로 읽는 일본 고전

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てつがくにゅうもん

哲学入門

三木 清

三木 清의 哲学入門(てつがくにゅうもん)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.

N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 110,592자 · 219화면

아오조라 문고

また思惟の能動性のうちに論理主義の徹底を求めようとする新カント派のコーヘンは、思惟に与えられたものは課題として与えられたものであり、感覚も思惟の原理に従わねばならぬと考えた。しかしながらかようにして主観の能動性は徹底されるにしても、主観が万能となることによって存在は却って観念になってしまわねばならぬであろう。フィヒテの立場は人間を無限なものとし、神の立場におくことである。これに反し、カントが感性を受容的なものと考えたのは、人間の有限性を認めたことであるといえるであろう。人間が無限なものであるならば、我々の思惟はカントのいわゆる直観的悟性もしくは知的直観であることができ、認識の形式と共に内容をもみずから生産することができるであろう。フィヒテはかような立場に立った。しかるにカントに依ると、我々の悟性は原型的知性でなくて模像的知性であり、その内容をみずから生産することができぬ。カントが感性を受容的なものと考えたのは、認識に模写的意味を認めたことであるといえるが、一般に模写説は人間の有限性の理解の上に立っている。人間が有限なものであるとすれば、存在と知識との関係は模写的であると考えられるであろう。